人間_読書感想文

ずっと気になっていた又吉直樹氏の「人間」。
買ってまだ読んでいない4冊くらいの小説と1冊の漫画、ページをパラパラしただけの3冊の雑誌を差し置いて読み切った。

ネタバレ気にせず感想書くので、未読の方はご注意を。

4章からなる本作は、
第一章「星月夜」で芸術分野での活躍を目指す人々とのハウス生活の思い出が、
第二章「霞」で主人公の現在とハウスの元住人「ナカノタイチ」が引き起こした騒動が、
第三章「影島道夫」でハウスの元住人でお笑い芸人になった影島との会話が、
第四章「人間」で自分のルーツである沖縄に帰り血縁者やご近所さんたちと関わる様子が
描かれている。

前半は主人公、永山の焦燥やどうしようもない苦しみが自分に感染するようで、読んでいると呼吸が浅くなるような感覚があった。それでも読み進めてしまったのは、私にもスノードームに渦を作って自ら作り出した混沌を痛い気持ちで眺めてしまうサディスティックな好奇心があるからだろうか。

永山は独自性を追い求めるが故に、他人の目に敏感になる。
自分がどう見られているかを強く意識しすぎて、行動を制限されているようだ。「こんなこと言ったらかっこつけと思われるから言わない」「これはパクリみたいなものだからダサい」と、自分が思う「面白い」「お洒落」に対して忠実だった。これはもはや俯瞰ではなく、主観で自分自身を観察していたようなものだ。「凡人が自分の才能を信じるのは罪」と言いながら、やはり自分の感性に一番信頼を置いている。

彼には自分の中に、確固とした良し悪しの基準を持っていたように思える。
これはひとりで考える時間をたくさん持ってしまった人間の性なのかもしれない。自分なりの正義を持っていて、「しょうもない」「どうでもいい」と言いつつも、実は他人に自分流の正義に沿った行動を期待していたから苦しかったのではないか。
ナカノタイチに対して見せた過剰な苛立ちの要因の一部は、自分は決められた(というより自分で決めた)ルールを守って活動しているにもかかわらず、彼は無法な振る舞いをして許されていることだろう。無抵抗者にむち打ち強者に媚びへつらう、人の意見を自分のもののように話し得意顔をする。それでも非難を受けず反省もしない彼の姿は、永山には罰を免れている犯罪者のように見えたのかもしれない。「社会のルールを守らない犯罪者を裁くのは正義」という感覚は、第三章で起きたタレントの自殺事件の間接的なトリガーとなった誹謗中傷を彼女に浴びせた人々だけでなく、程度は違えど永山にも、私自身にもあるのだろう。

第二章で登場するカスミは「周りと違うことをすると怒られる。向上心を持たないで自分のペースでやっていると苛々される。私はただ歌うのが好きなだけなのに」と、自然体では普通の枠に収まれずそれによって人から疎まれることを嘆いている。カスミに苛々する人は、自分が縛られている「人間たるもの社会に利益を齎す存在であらねばならない」という暗黙のルールを無視するかのような自由さを持ち、鈍感故に苦しみを感じなさそうな彼女を見ていると、フラストレーションが溜まるのだろう。「優しさや賢さ故の寛容さは許せるけど、鈍感故の寛容さや自由さは許せない」みたいな考えは、共感できるところもある一方、危険な考え方であると心底感じている。

永山は普段はタレントへの誹謗中傷などという暴力的なことをする人間ではなさそうだが、自分から見てルール違反だと思う人に対していらつき「面白くない」と一蹴する態度は、ストレスが極限まで来てふっと魔が差した時に、衝動で口にしてしまった言葉で人を深く傷つけるなど、他人の命を脅かすようなことをしてしまう危険性を孕んでいるように思える。その自分の中に在る危うさに永山自身気づいていて、でもどうやったって自分が思う「良い」に当てはまらない人への軽蔑や無法者への苛立ちは発生するし、本当の意味で他人を放っておくことができないことに苦しんでいるように見える。

上記に加え、もう一点、永山の苦悩の中で気になったものがある。それは「人の成功によって傷つくこと」だ。
人を傷つけることを目標に成功を目指す人、成功した人はそういないのは分かっている。しかし人の成功によって、確実に傷ついている自分がいる。成功者が悪いなんていう道理はないし、人のことを恨む時間がもったいないのもわかっているが、自分は何も悪いことをしていないのに不意に殴られたような衝撃に、うまく対処できない。間違いなく傷ついている自分を眺めて、また他人への苛立ちを募らせる。

私個人の場合、関連の資格を取った分給料が上がるシステムになっているので仕事において永山のような状態になることはないが、運や世渡り技術の高さが絡んでくる分野においては彼に同情する部分もあり、一方彼とは違い様々なことを初手から諦めている自分にも気づかされた。ある年齢を超えたとき、私からは永山のような一生懸命さが消えたんだなと思った。

 

前半パートの感想文は作者に申し訳なくなるくらい暗くなってしまったが、
大丈夫、後半、特に沖縄編で憑き物が落ちます。

2章までの大半が鬱屈とした主人公のどうしようもない不幸話だったが、298ページ(単行本)でそれがコメディーに転じたのが爽快だった。読みながら、つい微笑んでしまった。
主人公の馬鹿真面目さが、なんでもうまくやれる天才には不可能なお笑いを生み出していると影島は語る。不器用さも人間の味、お前は面白いやつなんだと、そっと永山の存在を肯定してくれる。

4章「人間」で印象的なのは、含みなく嫌味なく話す母親や宴会に集う人々。そういう人たちに囲まれる主人公を思うと、こちらも妙に安心する。日常とは離れた特別な会に少し緊張しながらも、親戚に囲まれおばあに「家族、必要だよ!」と背を押すような言葉をかけられている主人公の姿を見て、素敵な家族がいてよかったね、と言いたくなる。

 

一匹狼、自分の道を行く、人と馴れ合わない。でも本当は人間に興味深々で、人にかけた期待を何度も裏切られて、それでも人との繋がりを断つことはしない…そんな苦い日々に偶然生まれた温かい交流が、たとえそれがその一瞬のものでも、永山に安心感をもたらす。

人からもらった温もりを糧に、これから彼はとても優しい人になっていくんじゃないか。

又吉氏の小説にバッドエンドはないと信じている。