春琴抄_読書感想文

私は視力がとても悪い。
しかしまだなんとかレンズが存在する程度の近視なので、重たい眼鏡かコンタクトレンズがあれば生活できる。
ものの輪郭が無い世界には慣れ親しんでいるが、何も見えない生活は私には経験がない。だから、谷崎潤一郎の盲目もの三部作のうちのひとつである「春琴抄」を語るには、ここに書かれている言葉を信じずとも拝借しなければいけない。昭和という時代背景もあり現実とは異なる表現がされている箇所もあるだろうが、時代を反映したフィクション作品として読み、感想文を書いていこうと思う。

 


春琴抄」は、親の甘やかしに加え裕福・美貌・盲目が故に驕慢に出来上がった薬屋の娘 春琴と、地方の薬屋から奉公に来ており春琴の手曳き役をしていた佐助の間の奇妙な関係を描いた物語である。
最初は奉公人として仕えていた佐助だが、見目麗しく琴の才に溢れる春琴を慕い憧れ、自らも糸竹(琴や三味線などの和楽器)の道に入る。春琴による身体的・精神的な罰を伴う厳しい稽古を受けながら主従関係とも師弟関係とも夫婦ともつかぬ生活を送っていたある日、春琴の高慢さが恨みを買ったのか、彼女は寝込みを襲われ顔に熱湯を浴びせられる。焼けただれた顔を見られたくないと言う春琴のため、佐助は自らの目を針で刺して失明し、「これでもうお師匠様の顔を見ることはできないので安心してください」と言う。こうして開けた新たな想像上とも言える触覚・聴覚の世界を二人は楽しみ、共に余生を過ごす。

 

 

春琴の残忍さが放つ魅力が、この作品の魅力でもある。
盲目がもたらす神秘性と天性の美貌及び芸事への才能、そしてそれを(恐らく誇張して)説明する佐助の言葉が、彼女の魔性をより魅力的に見せているのだろう。家が裕福なので周りからお嬢様扱いされる、お顔が整っているので我儘が通る。こういったことが彼女の驕慢さを増長させたのだと作中で説明されている。
また、盲目が性格にどんな影響を与えうるのかについては私の知る由もないが、彼女が神経過敏であったことは文章から読み取れる。私もホルモンバランスの調子によっては些細なことが気になる性質なので、彼女の苛立ちには共感できる場面もあった。ましてや目が見えない中生活していくとなると不便がつきまとい、日々ストレスを溜めて、より神経が尖ることは想像に難くない。また、目からの情報が遮断されることによって聴覚や触覚が冴え、そこに不快を感じたときのストレス度合いが大きいことは、説明がなくとも理解できる。
環境要因か生来の性格故か、不快を感じやすい人間であり、周囲に辛く当たることで気分を晴らす。そんな彼女の態度は「意地が悪い」と評されているが、意地の悪さは神経の鋭敏さが所以で、その神経過敏が彼女の類稀なる才能に繋がっているのだから、才色兼備の女の意地悪が悪魔的魅力を放つのも納得できる。

 

一方、佐助は春琴の特別さに傾倒し、奉公人として、弟子として、常に低頭な姿勢で彼女を崇め奉る健気な男だ。彼女が受けた凄惨な災難を共にせずにはいられず自ら両目を潰してしまうほど、春琴に我が身を奉じていた。
途中彼のエゴの無さを不思議に感じたが、小説の終わり頃にも書かれていたように、この奉公が佐助のエゴの現れだったのだ。春琴の苦痛を癒し喜ばせるためでもあるが、佐助の理想とする春琴の姿のままでいてほしいというエゴが、彼の行動の根底にはある。

 

佐助も視力を失ったことを、本当に春琴は喜んでいたのだろうか?
自分も失明したことを告げたときの「佐助それはほんとうか」という春琴の言葉が、彼には「喜びに慄えているように聞えた」という。もしそうだったとしたら、それは春琴にとって佐助は目の代わりとしての、つまり生活上の必要を越えた存在であったことを意味する。それは佐助にとって都合が良く、二人の美しい心の繋がりを表しているようにも思える。しかしあくまでも彼は失明するという「災難」を被っているわけであり、その災難を無視して彼の忠義心を喜ぶ春琴にぞっとさせられるところがあるのは否めない。その悪魔性もまた、佐助を捕らえて離さない彼女の魅力のひとつなのだろう。


この作品の目的は物語という形をとって美を表現することだと私は感じたのだが、これが正しければ、美には様々な形があって、単純なものではないのだなと思わされる。
登場人物が美しいお顔をという明らかな美の素質を持っていることは勿論なのだが、春琴はシンデレラのように殊勝で温和な心を持っているわけではない。どちらかといえば、彼女の性格はシンデレラの醜い義姉たちに近い。しかし春琴抄の場合、そのプライドの高さや残虐さが却って彼女の美しさひいては物語の美しさを引き立てているようだ。なぜ同じような性格を持ったシンデレラの義姉たちは美しくなく、春琴は美しいのか… 動きや口数の少なさなどの振る舞いからくる差だろうか、まあこの件はあまり掘り下げないほうがいいかもしれない。