きつねのはなし_第三編 考察

森見登美彦氏「きつねのはなし」第三編、「魔」の考察。

引き続きネタバレもりもりのため、未読の方はご注意を。


【魔】
家庭教師のアルバイトをする大学生の周りで頻発する通り魔事件。京都の暗い小路をうろつく魔の正体が明らかになっていくお話。


本話は「きつねのはなし」の中で一番明快に話が読めた気がする。仕掛けの面白さと、風景・人物描写の美しさの両面を楽しむことができ、読了後充実感が満ち満ちた。


夜道で人を襲う通り魔の正体は、ケモノ=雷獣に憑りつかれた人物であると私は推測する。ケモノに憑りつかれた魔は毎晩人を襲うという訳ではなく、何かしらのトリガーがある・または襲う標的が定まっているようだ。トリガーとして考えられるのは、雷。ケモノの正体が「雷獣」であることと、ケモノに憑かれた主人公の「魔」のスイッチが入り人を襲う日、決まって天気が荒れていることから、雷雲が京都の空に蟠る夜にケモノが暴れると考えられる。いや、雷ではなく雨かもしれない。作中で雨が降ると、そこはかとなく不吉な空気が垂れこめる。どちらにせよ、悪天候とケモノには何か関係がありそうだ。

通り魔の標的についての説には確証がないので、あくまでも一案として書いておく。ケモノに憑かれた人が襲うのは、個人的な確執がある人物なのかもしれない。明らかに恨んでいる相手でなくても、心のどこかで嫉妬や恨みのある人物を襲っている可能性がある。しかしケモノに憑かれたことのある秋月の話からすると、襲う標的や襲う理由を本人が全く自覚しておらず、「魔が差した」としか言えないような衝動に駆られた結果の行動だったようにも思える。

以下、主人公と秋月のやり取り。当時の攻撃性はどこへやら、秋月は無関心そうな態度をとっている。

「クーデターの話、聞いたよ」
「ああ、あれね。気に食わん先輩三人を叩き出したこと、あったね」

「でも君も、その先輩たちとは仲が悪かったんだろう」
秋月は首をかしげた。「俺はどうでも良かったなあ」と呟いた。
…(先輩たちへの恨みはなく、暴力をふるった理由もなぜだかわからないと、ぼんやりしたことばかり言う秋月)
「君は直也君のために、復讐したのかと思ってたけど」と私は呟いてみた。
「俺がそんなことするか」

 

直也の弟、修二は、兄が高校の剣道部を一時期休んでいたことについて「意地の悪い上級生たちを退部させようとした兄が、夜道でその報復を受けた。この時、しばらく剣道ができなくなるほど兄は痛めつけられた」と話している。この事件は最後まで特に深堀されることもなく、「剣道部の先輩とのいざこざ」ということで終わる。しかし上で引用した秋月の発言から、直也を襲ったのは実は秋月ではないかと私は思っている。

以下私の妄想解釈。


中学三年の時に夏尾から引き離したケモノを、以来秋月はその身に負っていた。

彼の喧嘩道楽は、中学の終わりごろから始まったものだ。…「ま、最近はあいつも喧嘩しないけどな」

ケモノによって荒ぶる秋月の様子を、事情を知らない者は「喧嘩道楽に耽っている」と見ていたようだ。しかし彼に憑くケモノの力はどんどん大きくなっていき、喧嘩では済まないような事件を起こすほどの悪意・衝動を抱えるようになった。そして彼は親しい友人である直也を襲ってしまう。直也は秋月が豹変する原因を知っていたから、彼を責めることなく、真実を伏せた。その事件から間もなく、秋月は部活の先輩たちも襲う。
秋月の暴挙に危機感を覚えた直也と夏尾は、秋月から魔を祓おうと画策する。直也はまだ傷が癒えていなかったので、夏尾が一人で秋月に立ち向かい、彼を打ち伏せた。しかしケモノを殺すには至らず、逃がしてしまう。それ以来魔がとれた秋月は「人が変わったように」おとなしくなり、逃げたケモノは廃墟に身を隠すようになった。そこで新しい標的、主人公を見つけ、憑りついた・・・これが彼らに本当に起こっていたことなのではないか。

 

夏尾は高校生になっても男子と打ち合えるほど、剣道の腕がたつ。しかしケモノが憑いていた中学までは、もっと強かったのだろう。直也はケモノを「夏尾にとっては三本目の腕」だと言う。夏尾は剣道に適した強い体と精神力の持ち主で、その上にケモノという「魔」を宿していた。「魔」の働きで、人間離れした瞬発力と非情な判断力で圧倒的な強さを見せていたと推す。彼女は「魔」に飲まれることなくうまくコントロールし、その力を使いこなしていた。それは彼女の特別な強さ、肉体も精神も人並み以上に強かったからだと思われる。しかし剣道の腕前も月並み=精神も肉体も平凡な秋月には、ケモノを宥められるだけの力量は無かった。だからケモノによる衝動的な悪意に抗えず、直也たちを襲ってしまったのではないか。

 

強き黒髪の剣道女子高生、夏尾が魅力的な作品。昔ながらの酒店、木塀に挟まれた細い路地、暗闇の中白々と明かりを放つ自動販売機、笑うケモノと、趣深く、少し不気味な風景やアイコンが印象的だった。
実写化してほしいな。アニメ化もぜひ。