落第_勉学への姿勢

感想文を書いている間は非常に楽しいのだが、
数か月経って何を書いたのかすっかり忘れた頃に読み返すと、
だからなんだということがつらつらと書かれているだけの文字の集合にしか見えない時がある。

仕事に心が圧迫されて余裕のないときに、
こういう寂しい考えになりがちである。
今日も仕事関連の心配事を背中にたくさん抱えていて正直落ち着かないが、
平日から聞こえてくる私を急かす声に耳を塞ぎ、悠々と読書感想文を作成しようと思う。

 

夏目漱石の「落第」(1972)を読んでの感想文。

これは漱石ファンにとってはたまらない作品だった。
彼の学生時代の経験や考えを知ることができる文献は貴重である。

この作品は漱石の談話を記録したもので、自分の学歴に焦点を当て当時の学校制度について説明した後、
なぜ中学を中退して二松学舎に移ったのか、
なぜ専攻(力を入れた学問)が漢文から英語、フランス語、建築科、国文に流れることになったのかについて書かれている。

学業の方向転換の一つ一つに10代の少年の思考とは思えないほど凝った理由が存在しており、
彼の鬼才ぶりを再確認することができる。
本作品で、特に面白いと思った逸話を以下に挙げる。

・病気のため受験できなかった二級の試験の再実施を教務係の人にお願いしたのだが、学校自体が大イベントを抱えていたため忙しく、取り合ってくれない。
「そこで僕は大いに考えたのである。…追試験を受けさせてくれないのは、忙しいためもあろうが、第一自分に信用がないからだ。信用がなければ、世の中へ立った処で何事もできないから、先ず人の信用を得なければならない。信用を得るにはどうしても勉強する必要がある。

幼いころから学業優秀だった漱石は、大学予備門(今でいう高校)時代
「唯遊んで居るのを豪いことの如く思って怠けていた」ために成績はあまり振るわず、
運悪く発症した腹膜炎の所為で二級の学年試験を受ける事ができなかった。
その時に経験した落第、それまで縁がなかったであろう学業での挫折が、
その後の勉学への上昇姿勢に繋がったという。
勉強漬けで学生時代一貫して優等生という漱石のイメージが覆る面白い記述だ。


・建築科を選んだ理由として、
「自分は元来変人だから、このままでは世の中に容れられない。世の中に立ってやっていくにはどうしても根底からこれを改めなければならないが、職業を択んで日常欠くべからざる必要な仕事をすれば、強いて変人を辞めずにやっていくことができる。

お堅くスマートな印象の強い漱石は、意外にも自虐的な発言をすることがままある。
上記でも、自分のことを「変人」だと認めているし、他の作品(「処女作追懐談」(1972))では大学卒業当時の自分を振り返って「卒業した時には、是でも学士かと思う様な馬鹿が出来上った」と語っている。
変人についてはともかく、東大の英文科で特待生だった自分を馬鹿呼ばわりとは、何事か。

・「人間というものは考え直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、今迄少しもわからなかったものも瞭然と分かるようになる。」

自分は馬鹿だから、と難しそうなものを理解できないと決めつけていても、
やってみたら意外と分かる・できるようになることってありますよね~

・「元来自分は訥弁で自分の思っていることを言えない性だから、英語などを訳しても分かっていながらそれを言うことができない。けれどもわかっていることが言えないというわけはないのだから、なんでも思い切って言うに限ると決心して、その後は拙くてもかまわずどしどし言う様にすると、今迄は教場などで言えなかったこともずんずん言う事ができる。こんな風に落第を機としていろんな改革をして勉強したのであるが、僕のこの一身にとってこの落第は非常に薬になったように思われる。もしその時落第せず、ただ誤魔化してばかり通ってきたら今頃はどんな者になっていたか知れないと思う。

失敗をバネに、の美しい実践。(落第の直接の原因は病気なので失敗というより不運だが)
漱石にとって落第は、不運で片付けられる偶然の出来事などではなく、
起こるべくして起こった、勉強不足の積み重ねの結果だと捉えているようだ。
自分はなんでもできるという万能感とナルシシズムに溺れることなく、
「自分は馬鹿だ」と言うほどの謙虚さを持ちながらもポジティブに勉強に取り組んだ経験は、
漱石の人格形成、そして作品に大きく影響したのだろう。

「落第」には私自身の学生時代の悩みと藻掻きと重なるところが多くあり、とても面白く読んだ。
漱石の小説ももちろん好きだが、談話録も「夏目漱石」という人物を捉える楽しさがあって良い。