湊かなえ「告白」 読書感想文とカバーイラストの少女についての考察

告白。ネタバレにご注意。

芥見下々氏描きおろしカバー(正確には幅広帯)に惹かれて買った本作は、既に映画で物語の概要は知っていた。本で読んだらどんな印象を受けるんだろうと思いながら開くと、作品の興味深さとミステリー小説という形式のおかげですらすら読み進み、あっという間に完走。情報は濃ゆいのだけど、文章はさっぱりしていて読みやすく、必要なものだけをここまで綺麗に凝縮する湊氏の技量に敬服した。下々氏(私は呪術廻戦の大ファンで、友人と漫画の話をするときに「げげさん」とお呼びしているのでここでは下々氏と書かせていただく)のコメント「若さを肯定しつつもはりぼての達観が青ざめ、挫けていく様を見るのが私達は大好きなのです。」に、読了後「この感覚のことを言っていたのか…!」と非常に納得した。カバーイラストは言うまでもなく素敵。下々氏の描く女の子はいつも最高に素敵です。

 

章ごとに一人称で、つまり語り手の主観でこの一連の事件について語られる。そのため登場人物たちの行動の動機や思考回路など、人の内面における真実は読者には明かされない。5つのカメラから一つの対象を撮影していて、それぞれの画角から映るものは見えるし、5点の映像を頭の中で統合して立体に創り上げることができそうなのだけど、死角があったり、同じ個所を写しているはずなのに少し矛盾があったりと、完全な姿は分からないようになっている。巻末の映画監督インタビューでは、この矛盾を「余白」とし、読者が自分の思うように想像して埋めればいい、だからこの作品は面白いんだというようなことが書かれていた。つまり、推理が面白さの要因の一つということ。読みながら、無意識のうちに登場人物たちの本当の人格を彼らの発言や行動から推理し、「この人はこういう人なんだ」というイメージを自分の中で形作っていく。読み進めるにつれて、いかに自分の推量が間違っているか、浅はかであるかを思い知らされる。


自身の語りと他者から見たときの印象にずれがあるのが少年Aと少年B。私は少年Aを常人とは違った感覚の持ち主であり、快楽-戮を行うタイプのキャラクターなのだと誤解していた。また、少年Bに関しては、自分の意見を言うのが苦手で少し自分に自信が無いだけのごく普通の中学生のように見えていた。彼らが事件について語りだすまでは。あの-人事件によって、彼らの社会的評価とは異なる内面が明かされる。しかしそれは本人が開示しない限り、教師や親であっても気づくことは無い。世の中はこういうギャップで溢れているんだろうなと思う。

人間が生来持っているはず(?)の倫理観に疎く、サイコチックな言動をしているように見えた天才少年Aは、実は内面に母親への強い愛を秘めていた。表面上は同級生たちからの注目を集めるために危険な発明電機を投稿しているウェブサイトを開設したり、先生から危険だと非難された発明品を科学工作展に出品したりと攻撃的な態度が目立つ子どもだったが、実はすべて母親に会いたい、母親から評価されたい一心でやっていることだった。最後には自分の科学工作展入賞より中学生一家-害事件のほうが大きく取り上げられているのを見て、-人事件の犯人になれば母に気づいてもらえるのではないかとまで考えてしまうほどに。同級生からは大人びている印象を持たれていた彼だが、内側は母からの愛情をひたすらに求める子どもらしさというか、幼さが残っている。

一方少年Bは気が弱く控えめな子ども、そして親からはひたすらに優しい子だと思われていた。先生の告白の後、お父さんが働いてくれてお母さんが守ってくれる、自分の唯一の居場所で、穏やかでやさしい気持ちで生活を送る。残り少ない人生に感謝して過ごすという、意外な裁きの効果。「やさしい気持ち」とは言え、家族を大事にする振る舞いの裏には、自分の保身でいっぱいな思考があった。弱者の自己保身や自己顕示欲が、いつだって水面下で暴走している。

最後に森口先生がこの少年たちへの徹底的な裁きの手法を披露する様子を見て、勧善懲悪的な快感が勝手に湧いてくるのと同時に、あの少年二人はどうして悪なのか、正しい裁きの形なんて存在するのかとも考えてしまった。この題で考察すると収拾がつかなくなってしまうので、ここに詳しく書くのは止めておく。
もし各登場人物に感情移入して読んだら、確かに「イヤミス」というカテゴリーが意味する通りの感想を抱いていただろう。しかしひとりひとりに事情があって、動機があって、事件に繋がる一連の原因達があって、それらをすべて勘定に入れて正しい結末を算出することなどできなかった。だから私はラストシーンで嫌な気持ちになるというよりは、登場人物たちの行動を見守った末に「やはりこうなったか」と思うしかなかった。

 

 

特別カバーについて。
牛乳とへその緒で繋がっている女の子は委員長だろうか。それとも愛美ちゃんが中学生になった時の姿?先生が中学生だった頃のイメージ?普通に考えたら委員長なのだが、メインキャラクターではない※委員長を表紙に描くのが私には少し不思議に思えたので、別人物である可能性も捨てずに考察してみたい。
※第二章「殉教者」は委員長目線で語られるのでメインキャラと言えなくもないが、小説における委員長の印象はあまり強くなかった(筆者主観)

下々さんの表紙イラストにおけるポイントは「ブレザー&スカート姿=女学生である」「牛乳とへその緒で繋がっている」「頬に血痕がある」「右膝に絆創膏」「左足の靴下が脱げている」点だろう。
へその緒で繋がっているということは、この女子中学生は牛乳から栄養をもらって生きているということ。母なる牛乳。(母と言えば、少年AとBの歪な母への愛情を思い出す。)そしてこの描写は、少女がまだ独り立ちできない発育段階にあるということを意味しているように思える。何かから栄養をもらい、頼ることでしか生きることができない。家出しようにも正社員として働くことはできないし、他に養ってくれるような人もそういない。子どもたちは親や学校と見えない鎖で繋がれているのだ。しかし同時に温かい子宮に守られてもいる。それは親が提供してくれる家やご飯、愛情、学校の教育やクラスという場所、そして未成熟な少年少女を一律に守ってくれる法律だ。
そんな安全な場所で、頬に血をつけている少女。少年A/Bにつけられたものか、それとも自己の犯した罪を象徴する返り血か。自分が傷を負っている可能性もある。
膝の絆創膏はお転婆な雰囲気を醸し出している。この点に関してはクールな委員長よりは愛美ちゃんみたいな少しいたずらずきなタイプの子の方がイメージに合っている気がするが、どうだろう。そうでもないか。ただ単に部活動でしょっちゅうあざや擦り傷を作っている中学生らしさを表しているのかもしれない。
片足脱げた靴下には何も思い当たらない。何を表しているんだろう。意味は特に無く、デザイン性の問題だったりして。

映画を観返してからもう一度カバーを見て思ったのだが、この女の子は委員長役の橋本愛さんに似ている気がする。
この映画の橋本愛さんは完璧だった。原作における委員長は「地味な」顔立ちなので原作通りではないキャスティングだなと思ったが、映画の委員長は原作とはまた違った魅力があった。というか魅力がほとばしっていて、主役級の印象を焼き付けるようだった。あの冷たい狐の面のような表情、肩より少し上で綺麗に切りそろえられた黒髪、黒いフリルの短いスカートとハイソックス、何かモチーフのついたシルバーのネックレスと華奢な腕を覆う数珠のようなアクセサリーたち。まさにルナシーの信奉者の姿だった。

閑話休題。イラストの少女についてネットで調べてみた。しかし私の検索の仕方が悪かったのかこの少女の正体は未だ不明で、下々さんによるイラスト解説やこのイラストに対する考察記事なども見つけることはできなかった。皆さんはどう思いますか?この少女が誰なのか、このイラストは何を表しているのか。何か思い当たることがあれば、ご自身のブログなどに考察を書き起こしていただけると幸いです。私楽しく読みますので。

 

無意識のうちに自分の都合の良いように解釈してしまうというどんな人間にもある習性、そして自分の愚かさを受け容れきれなかったり、自分の愚かさに目を瞑って他者を見下したりする人間の性質を利用した興味深い作品だった。そして限定カバーイラストも素敵。下々さんの作品解説とイラスト解説が公式サイトに上がりますようにと星に願っている。