銀河鉄道の夜とカムパネルラ

宮沢賢治銀河鉄道の夜」の私なりの解釈と、米津玄師「カムパネルラ」の考察をここに記録する。


私が初めて「銀河鉄道の夜」を読んだのは小学生の頃で、当時の私は「やさしい人になるのが大事なんだな」くらいにしか思わなかっただろう。しかし大人になりあらすじも読み方も全く記憶の彼方に吹き飛んだ今読み返して、一番に感じたのは悲しみと美しさだった。幸ってなんだろう?神様って?死とは?これらの問いが解決されないというか、解決できないような悩ましさを夢のなかの出来事として描くことで、現実の厳しさは幻想的な美しさを纏う。
そして「銀河鉄道の夜」を題材に作られた楽曲「カムパネルラ」。初めて聞いた時、星や宝石を彷彿とさせるきらきら感とレトロ感が素晴らしく音楽で表現されていることに衝撃を受け、憂いと前向きさを両方感じさせる歌詞に心打たれたことを覚えている。この曲の元となった小説を読んでから聴くと、曲が言っていることだけではなくて、その前後がストーリーとして頭に入ってきてより一層味わい深い。
そんな「銀河鉄道の夜」と「カムパネルラ」から受けた感動と謎についてこれから書いていこうと思う。

 

■小説「銀河鉄道の夜
この作品は読み手によって受け取り方が大きく異なるのではないかと思う。その理由は、この作品の主題や意図を作者が明確に提示していないからではないだろうか。そもそも意図なんてないのかもしれないが。そして登場人物の心の動きが読みづらいこともその原因のひとつだと思う。彼らの感情が動く動機が明確に描かれていないというか、なぜここでこんなふうに思考するのか不思議、という場面がいくつかある。ジョバンニに完全に共感できる人は少ないだろう。この漠然とした物語に対して、自分個人の人生経験や価値観を用いて自分が納得する読み方を見つける=解釈するので、ひとりひとり違った読み方になるだろうし、もっと歳を重ねたとき読んだらまた違った感想を抱くのだと思う。作者や登場人物が読者に訴えかけてこない作品。明確ではないからこそ、人それぞれの解釈ができる。読書感想文にはぴったりの題材である。
と、感想文の冒頭を作った後でQuizKnockの「【読書会LIVE】宮沢賢治銀河鉄道の夜』」を観たら河村さんたちが同じようなことをおっしゃっていて、なんだか彼らの発言をパクったみたいになってしまったと焦った。しかし内容変更せずこのまま使う。だって折角作った文章だもの…

まずはジョバンニの感情の動きが不思議な個所について、該当シーンを以下に挙げる。

  • 「鳥を捕る人」に絡まれるシーン
  • 女の子(かおる子)とカムパネルラがお喋りしているシーン

両シーンとも、ジョバンニは不機嫌で、何かに対して悲しんでいる。その原因が初見ではよくわからなかった。「鳥を捕る人」は多少貧相で怪しい挙動をするがただの気のいいおっちゃんかもしれないから楽しくおしゃべりすればいいじゃないかと思ったし、女の子も何か悪いことをしたわけではないんだから嫉妬していないで仲良くしなよと言いたくなった。しかしジョバンニはまだ小学生。自分の感情にとても正直なのだ。言語化しづらい不快感を、「なにか大へんさびしいようなかなしいような気がして」「こんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました」といったシンプルで少ない言葉で表すことが、彼のできる精いっぱいなのだろう。だから彼が不機嫌な理由は明確に語られず、読者の推量に委ねられるのだと思う。(宮沢賢治作品の特徴、という可能性もあるが、私はそれを判断できるほどまだ読めていない)

彼を不機嫌にした原因の大半はカムパネルラであると思われる。ジョバンニはカムパネルラとずっと二人でいられたらそれでよかったのだ。だからふたりの邪魔になったり、カムパネルラを自分から引き離す脅威になる人物に対して冷たく当たってしまった。ここでなぜこんなにもジョバンニがカムパネルラに依存しているのかと考えると、「自分に優しくしてくれる唯一の学友だから」「まだジョバンニは幼いので、カムパネルラしか頼れる人はいないと思い込んでしまっているから」くらいのことしか思いつかず、若干説得力に欠ける気がしている。「小学生だから」に収束させるしかないのかな…

このときのジョバンニの一番の願いは、カムパネルラと一緒にいること。そして彼はこのまま「みんなの幸い」を探す旅がしたいと思っている。

幸いとは。この問いは本作品において重要なテーマの一つであり、何度も言及される。
ジョバンニもカムパネルラも、自分の幸せについては考えず、真に人の幸せを願っている。家族のため、友人のために、自分の命を燃やす。(こんな道徳的な考え、小学生の私は持ち合わせていなかったなあ)

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。」「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。・・・「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

この作品から「人のために生きよう。それがほんとうの幸せ」というメッセージを感じ取ったのだが、同時に少し違和感があった。真直ぐ素直に「人助けしよう!」と訴えているようには思えなかったのだ。「ほんとうにそれが幸せ?自分にとっても、人にとっても」と、最後まで自分自身に問い続けているような気がする。こんなふうに感じたのは、おそらくラストシーンのせい。夢から目覚めた後のくだりはカムパネルラを亡くした悲しみに染まっており、まだ前向きさや明るさは無いように私には見える(お父さんがもうすぐ帰ってくるだろうという知らせは喜ばしく前向きなものだが、カムパネルラパパの「どうしたのかなあ。・・・今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな。」という言葉に不穏なものを感じてしまう)。ジョバンニは人のために命を賭したカムパネルラを銀河鉄道で見送った後も「ほんとうの幸い」の正体はまだ分からず、それを探すために生きていかなければいけない。「これこそが幸いだ」と決めつけるのではなく、ずっと幸いについて考えていく、何がほんとうの幸いなのか探していくことが人生だと、この作品は示しているのではないかと私は感じている。

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主人公ジョバンニの境遇や同級生たちの性格は学校やお祭りでの描写から掴めたし、銀河鉄道の車窓から見える景色も鮮やかで、夜空の旅の様子がありありと伝わってきた。しかし読後ストーリーを振り返ってみるとどこか漠然としており、ジョバンニたちが住む美しい町も、お祭りも、銀河鉄道も、全部が夢物語の空気を纏ってぼんやり発光している。その終わりだけが、不思議と現実の重みをもって目の前に提示されるような印象の作品だった。これから私の生活には「ほんとうの幸い」という言葉が呪いのようについて回るだろうと思う。



■楽曲 「カムパネルラ」
敬愛する米津玄師氏の美しい曲。
この曲の歌い手は「どちらかというとザネリ」だと、氏はインタビューの中で話している。ザネリはクラスのいじめっこだ。カムパネルラに対して悪意はなかったものの、彼の死の原因を作ってしまった。友人の死に触れたいじめっこの少年は、そのあとどのように年を取っていくのだろうか。その想像の結晶が、「カムパネルラ」だと思う。

幼さや分別のなさ故、ジョバンニを不当にからかってきたザネリ。そんな粗雑なガキ大将も、過失とはいえ自分が原因で友人が亡くなったら心に深い深い傷を負うだろう。優しい人が死んでしまった。自分は助かるべき人間だったのか。生きるのは自分で良かったのか。そこでようやく自分自信を顧みて、今までの行いを反省する。しかしいくら悔いてもカムパネルラは帰ってこないし、変わった自分を見てもらうこともできない。

この街は変わり続ける 計らずも君を残して
真昼の海で眠る月光虫 戻らないあの日に想いを巡らす
オルガンの音色で踊るスタチュー 時間だけ通り過ぎていく


今まで人を傷つけてばかりで、これからもきっと、気を付けたって傷つけてしまう。罪を重ねるばかりだけど、生きていかなければいけない。そしてカムパネルラの代わりに「ほんとうの幸い」を探していかなければいけない。

あの人の言う通り 私の手は汚れていくのでしょう
追い風に翻り わたしはまだ生きていくでしょう
終わる日まで寄り添うように 君を憶えていたい

あの人の言う通り いつになれど癒えない傷があるでしょう
黄昏を振り返りその度過ちを知るでしょう
君がいない日々は続く しじまの中独り


人に傷つけられることも、自分の不甲斐なさに傷つくこともあって、傷は歳を重ねるごとにどんどん増えていく。それは仕方のないこと、輝いているものに近づけば、その傷も光を反射して美しく光る。

光を受け止めて 跳ね返り輝くクリスタル
君がつけた傷も 輝きのそのひとつ


自分がいつザネリになるか分からない。人を傷つけないよう思慮深くあることで防げることも多いだろうが、自分の想像の及ばなかったところで大きな過ちを犯してしまうこともあるだろう。それでも、傷を重ねて研磨され、より繊細に輝いて生きていく。曲中に表れているこの決意が、原作の空気感を丁寧に引き継ぎながらもその先の物語を豊かに描いていて素敵だ。

 

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冒頭でも書いたように、「銀河鉄道の夜」は読み手によって解釈が異なりやすく、その人の価値観や性格が解釈に表れる。「カムパネルラ」をどう聴き、どの箇所に重心があると感じるかも人によって違うのだろう。
この感想文から私の人格が読まれてしまうのかもしれないと思うと少し恥ずかしい。