三四郎_美術館での美禰子のささやき

野々宮の前でこれ見よがしに美禰子が三四朗にささやいた言葉が何だったのか、三四郎が問うシーンについて。

 

美禰子の「用じゃないのよ」という返答に、三四郎は納得のいかない顔をする。
すると彼女は「野々宮さん。ね、ね」「解ったでしょう」と、うら若き青年に悟りを促す。

野々宮が自分を大切に扱ってくれないことに少し腹を立てている美禰子。なんだか素っ気ない野々宮に対する小さな報復として、彼の前で三四郎カップルのふりをするのだ。
(ここで言う「大切に扱ってくれる」とは、「自分を一番優先してくれる」という意味。
 菊祭り人込みの中に乙女を放置することは、この条に反した振る舞いである。)
野々宮にやきもちを焼かせたい。それが彼女のささやきの正体だろう。三四郎は当然、野々宮を愚弄するために利用されただけだとも感じる。

美禰子は「どうせこのかわいらしく鈍い田舎少年には、どんな態度をとったって本意は伝わらないんだから」と思って、半分三四郎をからかっていたのかもしれない。それまで散々好意の種をまいてきたのに三四郎は一向にチャンスを掴もうとせず、関係性がうまく進まなかったから、鈍いと思われても仕方がない。三四郎は美禰子に弄ばれているのではないかという疑いがあったからこそ、女への疑念と自己の希望との間に挟まれて動けなくなっていた。

残念なことに、この時疑念は確信に変わってしまった。
美禰子にとって自分は野々宮を焦らすための道具であると。

それは即ち、野々宮への愚弄と媚である。野々宮を後悔させるか、彼の気をこちらへ向かせるという作用のための行為である。
そしてなにより、三四郎への媚である。自分の好意を明らかに伝えて彼を釣ろうという魂胆も少しあって、美禰子はそのような演技に打って出たのだろう。

三四郎は男に媚びる女が怖く、嫌悪すら湧く。上京の際電車で会った女との恥ずべき経験が影響しているのかもしれない。国の御光さんが三四郎への好意のために(元来そういう人なのかもしれないが)物を送ってきたり口うるさくしたりすることにも彼はうんざりする。この時美禰子をそういった自分の理解の外にいる恐怖の存在であり、下品な種類の女であると、三四郎は判じてしまった。

「女は縋るように付いて来た。『あなたを愚弄したんじゃ無いのよ』
三四郎は又立ち留った。三四郎は背の高い男である。上から美禰子を見下ろした。
『それでいいです』『何故悪いの?』『だから可いです』…
戸口を出る拍子に互いの肩が触れた。男は急に汽車で乗り合わした女を思い出した。
美禰子の肉に触れたところが、夢に疼くような心持がした。」(197)

三四郎は美禰子をどこか掴めない秘密があるような魅惑の女性として見ていたが、ここで彼女は一般の女であると気づく。咄嗟のところで男に縋る女。ここでついに、彼は見下される側から見下す側に転じた。許しを請う美禰子。…

このシーンは、以下のように明るく甘酸っぱく解釈することもできる。

三四郎は美禰子から自分への好意を伝えられたと捉え、それでも野々宮さんのことやらなんやら考えすぎてしまって、ここで美禰子を自分のものにするための行動に出ることができない自分の不甲斐なさに忽然としている。こんなに悩んでいる自分をよそに無邪気でいる美禰子を得体の知れないものと、遠くから眺めるような気持ちで見ていた…

でも私は一つ目の陰鬱バージョンのほうがしっくりくると思っている。

 

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夏目漱石(2000) 『三四郎』[第二版] 新潮社