三四郎_美禰子との出会いと大学生活の始まり

なんとも陳腐なことを書き綴ってしまった前回。
今回は、「三四郎」の冒頭~講義開始あたりのところまでの空想と考察を、個人的な意見を挿し込みながら記録していこうと思う。

 

私は論文を書くことがとてもとても嫌いだ。
型にはめこむ、ドウデモイイルールに従う、論の根拠を他資料から探る、引用資料の信憑性を吟味する・・・
そういった"作業"に辟易する。
(根拠調査は一部楽しんでやっていたような記憶もあるが)

そして、根拠の見つからなかった空想は悉く排除せねばならぬことにも嫌気がさしていた。
せっかく面白い読み方を見つけても、それが正しいと立証できなければ論にはならぬ。
読み方の可能性の話は、教授の求めるものではない。
レポートに書いて教授に押し付けるという手もあったかもしれないが、そんな暴力的なことをする気も時間もなかった。

過去、必要に迫られて最低限やることはやってきた。
そんなめんどうくさいにまみれ楽しいを除去する毎日を乗り越えて今、読書感想文という不要に手を出す自由を得たのだ。
だから論文なんてくそくらえ!という態度で好きなように書いていく。

 

 

日露戦争中、西洋化が進む明治の東京が舞台。

数え年で23歳の三四郎は、大学進学のための上京中、電車の中である女と出会う。
女の頼みに流されるまま同じ宿に泊まるも、彼女には手を出せず。
別れ際、「あなたは余っ程度胸のない方ですね」(12)と言われ、教育と人格について以下のように考える。
教育を受けた高等な人間は、異性に迫られたときびっくりするかもじもじするしかないんじゃないか。
教育と人格形成を結び付け、「高等な人間」はみんな対異性の社交能力が低いのではと推論する彼の思考にはどこか愛嬌がある。

 

構内の池のほとりで、初めて美禰子を見る。

細かすぎる彼女の服装や立ち姿の描写から、三四郎が彼女をよく観察していることがわかる。
しかし彼の恋愛感情が動いたかについては、ここでははっきりとわからない。
おそらく彼自身、恋愛感情がどのようなものかわかっておらず、この時湧いた不思議な感覚が何なのか認識できていなかったのではないか。

彼はただ、彼女のシルエットや色彩に見とれてしまったことだけを自覚していた。

それに対して美禰子の判断は早い。
三四郎の前を通った時、おそらく横にいる看護師にも気づかれないくらいさりげなく、
白い花を落としていった。
この行為によって、美禰子は三四郎に因縁をつけたのである。
気に入った男に、なんとも優雅にマーキング。策士!

もしかすると、三四郎が丘の上の女たちに気が付く前に美禰子は三四郎を見つけていたのかもしれない。
それでわざと丘の上で美しいポーズをとって、
石橋を渡ってさりげなく彼のほうへ向かい、
匂いなんかない花の香を嗅ぐような仕草を見せ、
どうでもいい質問を看護師に投げて、
彼の集中を獲得したところで彼に花を落としていく…

印象付けを効果的にするための仕込みを怠らない美禰子のしたたかさとその仕草のセンスに感服する。

 

美しい女、東京の街、大学の建築から受ける感動に揺さぶられているうちに、大学の講義が始まった。

講義室の机には「落第」という美しい彫刻。
意図もなく借りた本には
 「余今試験の為め、即ち麺麭の為めに、恨みを呑み涙を呑んでこの書を読む。
  岑岑たる頭を抑えて未来永劫に試験制度を呪詛する事を記憶せよ」(45)
という落書き。

大学の諸先輩方からのメッセージである。

 

三四郎の大学生活はこうして幕を開けた。
悪戯怪獣 与次郎とも出会い、やる気に満ち溢れた田舎出の秀才は、
大抵の大学生が通る下り坂を、例に漏れずごろごろと転がっていく。

 

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夏目漱石(2000) 『三四郎』[第二版] 新潮社